euliquorのブログ

良いという連結後の、「eu」と、私の好きなお酒「liquor」を合わせて、私の名前ユリカを表しています。フリーランスとなって、ビジネスの基本はもちろん、マインドセットや日々の生活のなかでも大切な考え方や、発見を綴っています。

答えは簡単。

今自分を指導をしてくださっている方が、どうしたらいいのか、を具体的に考えろ、と言います。

 

これに最近改めてハッと気付いた。

 

要はこれ、答えを求めるんじゃない。ということ。

 

答えだけ教えるのは簡単。それでもできるようになる。

けれどそれじゃ意味がないから、考えること必要になる。

答えだけ教えてもらっていたら、いつまで立っても一人立ちできないからね。

 

最近ハッと気づいたのは、逆に自分が聞かれた時。

これが分からないので教えてください。とピンポイントで聞かれた。

 

私は答えを知っている。とても簡単。

でも教えるだけでは、私もまた同じ内容のことを別のタイミングで聞かれて面倒なので、

"それら"はどこそこを見れば分かりますよ。という回答をした。

 

でも次に、それでも見つけられない。という。

いや、ちょっと考えればわかるし、答えが載っている箇所はたくさんある。

見ているところが見当違いなのである。

それに考えていない。その答えがどこにあるかも、検討もつけないまま分からないことは聞けばいいという、単純な思考回路で、答えだけを聞いている。

 

今回は考えていないというのが赤らま様だったので、自分も気づくことができた。

 

相談やフィードバックをもらう時、自分も答えだけを求めていないか。

どうしたらいいのか、ではなく、

考えた上で、こうこう、あれそれしたらよかったの?という聞き方出ないと自分が成長しない。

 

中には考えても分からないこともたくさんある。

そういう時は悩んで無駄に自分の時間を消耗するより、さっさと分からない、と聞きにい行ったほうがいい。

それが3分考えて分らなかったら聞きに来い、と言われている所以だった。

 

答えを知るのが悪いというわけではない。

答えを教えてもらったら、それは活かさないといけない。

次に同じように分からないことがあったら、同じように探してみるとか、見当をつけてみるとかしていかないと、成長がないっていうこと。

 

そうしていかないと、30,40,50歳、おじさん、おばさんになっても何もできない大人になってしまう。

若いうちはそれで許されても、歳をとって困るのは自分になる。

だからスキルがあれば安心、食っていけるなどと考えるのも安易すぎると思う。

 

えっ、そのままでいいの?

何事も行動、アクションが大事だと思う今日この頃です。

 

行動とアクションは、日本語か英語かの違いなので、同じ意味だが、

日本人の感覚だとニュアンスが違うかもしれない。

 

行動と聞くと、重い腰をあげるイメージだが、アクションと聞くと、もっと気軽なものに感じないだろうか。

 

私はアクションのニュアンスでも、行動をすることが重要だと感じている。

 

なぜなら、行動しないと何も変わらないから。

これに尽きる。

 

変えたいものがないのなら別だが、人はこうしたい、こうなりたいという理想や夢があるのに、ほとんどの人が実現させないで終わる。

 

本当にやりたいともったら、何かしら、なんでもいいから、行動しないと何も変わらない。

行動さえしていれば、必ず変わる。

納得の行くまで、または理想を叶えるまで、行動し続けていれば、それは達成できると思う。

 

それが小さなこと、ネットで調べる、とかで全然いい。

何かしら”する”ことが大きな第一歩だと思う。

 

もっといいのは、インプットだけでなく、アウトプットできる行動だと感じる。

何かしたいことがって、情報集めて、知識つけるだけでは、頭でっかちの評論家になる。

アウトプットの行動できたらどうだろう。

分からないから、人に聞く、人を頼る、声をあげて発信する。

どんどんこういうことをして行ったらより良いと思う。

 

人は全てを自分一人でやって生きていける動物ではないのに、大人になると何でも自分で解決しようとする。

大人ってそれほどすごいわけでもないのに。

 

どんどん外に向けた行動をしていって、知っている人に教えてもらったり、直してもらったり、紹介してもらったり、みんなに知ってもらったり。

この行動ができるとできないとでは、雲泥の差。

 

アウトプットができるから、どんどん改善されて、ブラッシュアップされるのである。

インプットだけで自分の中に秘めていては、自分の中だけでどうにかしようとしていてはナンセンス。

時間もかかるし、非効率的。

 

ただ、一番良くないのは、何もしないこと。

 

最初はインプットの行動でも全然いい。

次にはアウトプットの行動ができるのがベスト。

 

 

バイクの何が面白いの?

私は車が好きです。

 

カフェの窓際から道ゆく車を眺めては、あっ、かっこいい〜!う〜、いい音!とか思いながら観察している。

 

でもバイクには、ピクリとも反応しない。

音でわかります。車の音にはくぅ〜っ!ってくるのに、バイクの音は、むしろうるさいと思うときさえあります。

 

今の時点での私のバイクに対する考え。

  • 車と比べると小さくてカッコよくない。車の方がかっこいい。
  • 車買えないからバイクに乗っている。多くの人はお金あったら車買ってるはず。
  • 危険

乗ろうとも思わない。

 

でも、興味のないものの魅力を調べるのも大事!

 

なのでバイクの魅力について調べてみた。

なぜ人はバイクに乗るのか?何が魅力なのか考えてみた - 道楽じみている

 

上記サイトには、ただ一つ、気持ちいいから、だそうだ。

あとは乗らないと絶対わからないそう。

 

ここまで潔いと、分かりやすい。

 

確かに車にはない魅力だ。

風邪や匂いを感じながら走ることができる。

 

危険を冒しながら乗るのだから、そのスリルを楽しんでいるとも言えるだろう。

 

本文でも、「危険だからこその「楽しさ」ってあると思うわけです。」と書かれている。確かに安全なものだけ求めていても、面白くない。

障壁とかリスクがあるから「達成感」とか「やりがい」も生まれるように、バイクもリスクを背負って走るから、気持ち良さが倍増するのだろう。

 

今まであった人で、バイクに乗る人は何人かいたが、かっこいいから、という人にはたくさんいたが、共感できなかった。でも実は気持ちいからなのだと思うと納得がいく。

 

また、そう人の心理を考えると、鬱憤を晴らしたりしているのだろうとも考えられる。

普段何か抱えていることがあって、いつもは得られない非日常感、快感を快楽をバイクで得ているのだろう。

一人の時間でもあり、没頭できるし、乗っている自分の姿がどこかに写って、自己承認がされやすいというもの、人がバイクに乗る理由かもしれないと思う。

 

少しバイクに対する見方が変わった。

やっぱり興味ないものの魅力を調べるのって大事だ。

どれも知らないだけで、勿体無い!

自分が興味持ったことないものの魅力、について調べることも重要。

 

 

「数学の魅力を調べて、久しぶりに数学が解きたくなった」

https://matome.naver.jp/odai/2137685264432354601

https://qolhacks.com/mathematical-interest

 

  • どの部分を読んで、そう思ったのか、脳が反応したのか、これを別のことに使うなら、置き換えると…まで考えるのが重要。

「引用」

⇨なんで脳が反応したか

 

 

数学の理論には、美しさがあります。 物事の真理を射抜いた理論ほどさんぜんと輝く美を持っています。 それは、音楽や美術や文学の中にある美とまったく同質のものです。」

「数は何故美しいのか。それはベートーベンの交響曲第9番がなぜ美しいのかと訊ねるようなものだ。君がその答を知らないのであれば、他の誰も答えることはできない。私は数が美しいということを知っている。もし数が美しくないのなら、美しいものなど何も無い。 数学者ポール・エルデシュ

⇨数学が美しい、の不協和音。数学が美しいとは思えないのに、知れば美しいものらしい。気になる。

 

 

 

好きになったのは,中学に入って『算数』が『数学』になってからでしょうか。複雑に見える計算問題も,ちょっと考えると,パズルを解くように簡単に解けてしまうことに感動したんです。」

「1問解けたら次も解きたいっていう気持ちになって、時間がたつのを忘れる。

勉強じゃなくてまるでゲームをやっているような感覚、何かに取り憑かれたような感覚になれます。

ランナーズハイ(マラソンなどで長時間走り続けると苦しさが消え、気分が高揚してくる作用)に似た感覚を味わうことができます。」

「アハ体験によって、頭の回転が早くなり集中力、記憶力もアップします。

達成感と充実感、わかる喜び、自分すごいんじゃないかって思えることは、脳科学的にもいいとされ、幸せを感じることにも関係してきます。数学をやっていれば毎日こんな感覚になれる、それも数学の面白さだと思います。」

⇨過去の体験、やり方見方を変えると興味が出てきた。公式を覚えるのは苦手だった、でもパズルやゲームを解くのであれば好きだし、簡単に思えてきた。

⇨数学でなくても、クイズが解けた時や相手の言いたいことが分かった時などの、脳の快楽、アハ体験は好き。その快楽を得たい。

 

 

 

 

「数学の学習は何となくパソコンの学習に似ている。子供たちが初めてパソコンを学ぶとき、まず触って、いろいろ反応を見ながら新しい知識を吸収していく。その学び方には無駄もなく興味・関心に引きずられるままどんどん深い理解へと繋がっていく。

一方、年配者がパソコンを学習する時の様に、膨大なマニュアルをマスターしようとすることから始めては疲れてしまう。まずやってみることから、ということでしょうか。」

⇨覚えようとして覚えていない、子供のころの感覚で物事にひきづり込まれる感覚が呼び起こされ、その時の感覚でとりあえずやってみようと思えた

 

 

 

一番強烈だった↓

「数学の面白さを知らずに死ぬのは、セックスを知らずに死ぬくらい残念なことだとさえ言われています。」

何か月も思考を続け問題が解けた時の喜びと言ったらありません。それは性的快楽に例えることができ、違いはその感覚が何日も続くことである。見返りはあまりにも大きい。セドニック・ヴィラニ氏」

⇨こんなこと聞いてやらないわけにいかない、と思った。人間の快楽と同じだなんて、それを得られるならやってみたい。

 

 

 

  

逆に魅力を語った

 

●友人にF1魅力を語った

ドライバーだけの力じゃないのが他のスポーツと違うところ。様々な要因が重なりあう。

チーム別のマシン開発、毎年レギュレーション変更、そのルールの穴をかいくぐってまた開発。

勢力図が毎年変わる、その中でもHONDAはやっぱりすごい。速いマシンを必ず作る。有名なセナもHONDAに乗っていた。

⇨友人が、見てみたい、企画楽しみにしてます、と言った。

 

それが興味づけ。

 

あれやこれやと魅力を語る。相手によって反応するポイントは違うが、どれか相手に引っかかる。

他も同じように魅力を語る、どれかが相手に引っかかり、興味づけになる。

 

でもそんなのカンケーねー!

今の活動をする上で、指導者の方とかわした約束、いや、掟がある。

 

その中の一つに、「無茶をしろ、倒れた時に考えればいい」というものがあります。

詳しくいうと、

「常に、自分を限界突破していくことが必要になりますので、

体調が悪いとか、気分がすぐれないとか、気持ちが乗らないとか、

寝不足だとか、空腹だとか、そういうことなんて、倒れた後に考えてください。」

というものです。

 

ふむふむと思うが、実際そうなると、眠気や空腹に負けそうになる。

ましてや私は今ちょうど、歯が痛い。

歯の矯正中であり、今日月1の調整に行ってきたのだ。

 

これは翌日が一番痛いが、今日はもう終わった直後から痛い。

食べれると思って、軽いおせんべいを買ってみたが、家に着いてから、全く食べれる気がしない。

あー、、、痛い。

 

でもここが勝負の分かれ道。

痛いからもう寝てしまうのか、いや、こんなこと関係なしにやるべきことをやるのか。

限界突破していくのであれば、痛いとか関係ない。

やることをやるだけ。さっさと終わらせるだけ。無茶をしてでも、なにがなんでも。

どうにかする、のである。

 

これは痛さだけてでなく、眠気や空腹、逃げ、にも同じことが言える。

 

実際今は歯が痛くて辛い。痛いし辛いし。なんでこんなことしなくちゃいけないのか。。。涙

 

でもそんなのカンケーねー!

 

頑張れ自分。それを乗り越えるから、楽しい未来が待っている。

 

限界突破!やるべきことはこれ!

 

痛いから、眠いから、疲れたから、何かする、ということは基本的にない。

あってはいけないと思う。

そういう負の感情はあってもなくても、自分がすることには影響しないのだ。

 

それが限界突破だ、苦しくても辛くても、吐いてでも、発狂してででもやることはやる。

これが成功への一番の近道なんだろう。

師匠がそういういうのだから。

いや絶対そうなのだ。

師匠がそういうのだから。

甘いのでしょうか

漫画、カイジの1巻だけ読みました。

すでにハマりそうで、早く2巻が読みたいところです。

 

1巻目だけ読み終えて思ったことがあります。

すごいと思うもの、なりたいと思うもの、夢や理想が雲の上にありすぎて現実的ではない。

だから人生決めるようなことでも、ヘラヘラしていることができている。

 

また、夢や理想が高すぎて自分にはなれないと決めつけているから、それを手に入れている人を見ては、腹いせに嫌がらせをしたり、意地悪をしたりする人がいる。

 

自分の人生をしっかり考えたことないから、大事なことでもヘラヘラできたり、嫌がらせをしたりするのは、今までの人生も今も、だれかに決めてもらってきた人生なのかもしれない。

 

でもそんなのは甘ったれ。今までの人生だって、自分で選択することはできたはずなのに、そうしてこなかった。

 

そのツケがいつか回ってきて、首が回らなんくなる。

 

これ、自分もそうかもしれないと思った。

 

本当に自分で人生選択しているか?本当に人生決める大事なこと、深く考えいるか?

もう一度心に刻んでいきたい。

決めるって大事

今日の学び。

 

それは、決断。

 

脳の中を、決めて行ってどんどん整理していくことが大事。

決めないでいるから、そこにワーキングスペースが使われて大事なことに取り組めなくなる。

 

決められないでいるということは、悩んでいる、自分では決められない状況にあるはず。

だったら、誰でもいいから話して、整理してすぐ決める。

 

自分が悩みだと認識していなくても、問題でないと思っていても、モヤモヤとたものがあるなら、それをどうするのか決めてしまえば、心のとっかかりが取れる。

 

だから雑談でも、相手に話すことではないと感じでも、誰かしらに聞いてもらうのは大事なのだ。

話した相手が決めてくれることもあるだろうし、アドバイス聞いて自分が次にどうするか分かるかもしれないし、話した後は頭が整理されて自然と動けるかもしれない。

 

あと、決めたところで、そのアクションをまた後回しにするから、やるべきことに割く時間が少なくなったり、効率、能率が悪くなって、結果全体のパフォーマンスが落ちる。

 

決まったらすぐ行動に移すことがさらに大事。

決まったから、時間のあるときにしよう、だと、あとでしなくちゃいけない、というタスクでまた頭の一部が使われ、脳の働きが非効率になる。

 

さっさと片付けるから、どんどん次のこと、新しいことができる。

言われてみれば普通のことだが、これが意外とできていなかった。

期限ギリギリになって、適当に決断してしまうことだけは避けたい。

 

何で自分がつまづいているのか分からない時は、まず自分がその日1日で考えたことをリストアップしてみるといいかもしれない。

何度も考えていることや、後回しにしていることが分かってくると思う。

それが分かったら、それを片付けるには何したらいか決めて、すぐ実行したら、そもそも悩むこともなくなって人生楽しくなる。