犬と猫
この間の記事で自分はネコかもしれない、という内容を書いた。
これが他の例えにも使えることが分かった。
よく会社員とフリーランス/個人事業主などの違いを、動物園とサバンナに例えるが、
これを犬と猫としてライフスタイルを例えることができる。
犬の場合
飼い主に飼われ、餌も与えられ、寝床もちゃんと用意され、いつも家でのんびりと寝て過ごしている。
病気にならないように注射もしてもらえるし、怪我をしたら病院に連れて行ってもらえる。
ただ、散歩で少しの外を見ることはあっても、家を出たら生きて行く術を知らない。
その前に外の世界のことはごく一部しか知らない。
対して、
ネコの場合(飼いネコ)
※野良猫だと動物園とサバンナと変わらない。私が言いたいのはライフスタイルのこと。
一応飼い主に飼われながら、餌も自分の食べたいものを食べ、一人になりたいとき、外に行きたいときは好きな時に出て行って、散歩したり探索したり友達作ったり、自由を満喫。食べたいものがあったら自分でとる。飽きたりさみしくなると家に戻って飼い主に甘える。
でも気分が乗らない時は触らせないし、無愛想。
半分は外で生活しているので、いろんなこと知っている。いざ捨てられても野生としても行きていける。
とまあ、こんな風に、会社員は買われている犬、フリーランスは自由気ままなネコという風にライフスタイルを例えると分かりやすい。
実際、フリーランスは雇われ=飼われているわけでも、餌がもらえるわけでもないが、会社という組織ではなく、起業家同士のコミュニティーや、家族という大きな経済社会というイメージで捉えれば合っていると思う。
食べ物ももらえるものを食べてもいいし、気に入らなければ好きなものをとって食べればいい。
まさに今の私は、ネコ。
一人で寂しくなったら、フリーランス仲間のところに行っておしゃべりするし、喋りたくない時、一人になりたい時は、一人でふらふらと外に出て仕事したり。
好きな時に出たり入ったりしている猫と一緒。
いきなりバタフライは泳げない
私は水泳をやっていたので、よく水泳に例えることがあります。
よくクライアントさんに説明の時にも使うのですが、ビジネスをしようとなった時、水泳に例えると、
バタフライ泳げたらかっこいいなー
(泳いだこともないけど、)かっこいいから泳いでみよう
ドボーン!、あれ思ったように泳げない、溺れちゃう
そりゃそうだよね。水に慣れて、息継ぎの仕方を覚えて、キック練習して身につけていくから、泳げるようになるよね。
そうするからバラフライ以外も泳げるようになるよね。
これをビジネスに直すと、
ビジネスしてお金稼げたらかっこいいなー
(ビジネスやったことないどけど、)お金欲しいからビジネスしてみよう
◯◯発売!、あれ思ったように売れないな、赤字だ失敗
そりゃそうだよね。ビジネスの基礎、基本を理解して、実践しながら身につけていくから、ビジネスして稼ぐことができるよね。
そうするからどんな商品でもサービスでも売れるようになるよね。
人の個性や戦略が通るようになるのは、それができるよになった上で乗っかって、効果がでるもの。
いきなり個性や自分のやり方を取り入れるのは、これも、いきなりバタフライを泳ごうとしているのと変わらない。むしろいきなりアレンジを入れた泳ぎをしようとしている。
皆さんも、今取り組んでいるもに台本となるものがあるならば、まずはこれに徹底的に沿うことが重要。
個性や自分のやり方はいらない。
台本の通りにできた上で、その人の個性や人柄、戦略が輝いてくる。
まずは素直に、やる。
やってから理解すればいい話。それが上達への一番の近道。
諦めグセ
おとといの記事で、自分に諦めグセがついた、と書いた。
これ、結構自分の中では深刻なことだと思っている。
自分に諦めグセがついたのは、言いたいことが言えない、という状態に付随してできたものだ。
今までの私の人生の後半に受けた高圧的な教育により、自分の意見を聞いてもらえないので、言わない方が丸く収まる、と無意識に自分の意見を言うことを避けるようになったと考えている。
この、言いたいことが言えない、と、諦めグセ、はビジネスをする上では大きな弊害だと思う。
むしろ大問題。
克服せずしてビジネスの世界で成功しないことだと思う。
これは前から感じてはいたが、自分の成り立ちを追ったことによって、はっきりした。
気づいてしまったからには、私、克服します。
言いたいことが言えない、ことにおいて。
これはモデリングする人を決め、その人を素直に真似ればいい。
理屈とか根拠はなしに、まずはやる。理由は後から考える。
その人に言われたこと、アドバイスなども、絶対。
そこに自分の意思は関係ない。絶対やる、のである。
そうやって殻を破ることにした。破ると同時に伝え方も学ぶつもり。
そして諦めグセについて。
こっちの方が深刻だと感じている。
これはどうしたらいいか、今日ずっと考えていたが、考える中で普段からも逃げていることに気づいた。
逃げる状態の時は、不安になった時や、やる気が出ないと感じている時。
その時私は、食べて紛らわす、飲んで忘れる、後回しにして忘れる、諦める...。
そういう時は、対峙、することにした。
逃げないでその気持ちに徹底的に付き合うのである。
これができたら、人生の前半の頃、不安など考えることもなく、自発的に勉強もスポーツもなんでも一生懸命取り組んできた、あの頃のように頑張れると直感した。
どちらも根性論のように聞こえるかもしれない、ネット上には別の克服方法が書いてあるかもしれない。
でも、逃げずに真っ向から向かっていくことにした。
小中の頃の成功体験はある。
それを今、呼び起こす。
途中ですが...
昨日に引き続き、自分の受けた教育から自分の成り立ちを考えています。
今日は親を一人の人間としてみてみたら、面白かったので途中なんですが、書いています。
私の場合、母親による影響が強い。というか父親が教育に関しては全くと言っていいほど関与してこなかったので、どうしても母の教育を考えてしまいます。
まずは親を否定しました。
否定をリストアアップし、そのあとに親の育った環境や、成り立ちを考えるとしょうがないなとも思えます。
ここまでは腑に落ちることもあれば、仕方ないか、程度のものもあった。
そのあとに、今度は親を一人の人としてみてみました。
私の場合、母親を人間として考えるため、一般的に性格のいい女と悪い女の特徴を調べました。
教育というい面からも考え、どれくらい当てはまるかなと思ってみてみたら、、、
まず性格の悪い女の特徴20個のうち、12個あてはまりました!
多くてびっくりしました。笑
えーと思うかもしれませんが、うちの母親は性格悪いのかも!?って思うと、余計にしょうがないなと思えました。
そして性格のいい女の特徴のは方はというと、、、
なんとゼロ!ほぼあてはまりませんでした!惜しいものはありましたが。
もう笑っちゃいました。
こんな特徴の女の人に育てられていたのかと思うと、今となっては笑えます。
そりゃそいういう教育になるわ、と。笑
これは引き続き、もっと一人の人間として自分の親を考えてみようと思います。
もう一つ、親の立場になって、なぜ当時そういうことを親が言ったのかを考える、ということもしてみました。
なぜあの時、あの学校受験させてくれなかったのか、あのスポーツさせてくれなかったのか、とかです。
ありえない、と思うことも考えてみます。
例えば当時「お金がないからダメ」と言われたら、本当にお金がないのかもしれがないが、親がこっそり自分の好きなものに使ってしまった、とか、実はビジネス初めて失敗してお金がない、とか色々。
自分の親はこんなことしないとわかっていても、いろんな想定をして考えると、また親のことを許せる気がしたし、他人のこともこうやって、いろんな立場から価値観から考えられるようになったらいいと思った。
自分の成り立ち
自分の生い立ちって、知っているようで、深く考えたことはあまりないと思う。
経歴という意味であれば、自分の歩んできたことを述べればそれで済んでしまうが、成り立ちという意味では、様々な要因が絡み合って今の自分ができている。
もちろん、無意識に影響されている出来事もあるだろう。
今回は人が一番影響を受けるであろう、親、なかでも親の教育について調べてみた。
まず今の世の中で、良い教育やしつけ方法とされているものをリストアップした。
下記のサイトを参考に、
https://toyokeizai.net/articles/-/81483
http://benesse.jp/kosodate/201711/20171110-1.html
http://education.chase-dream.com/ikuji/shitsuke.html
http://diamond.jp/articles/-/21817
https://chiik.jp/articles/wVkQe
http://fqmagazine.jp/1965/brain_power/
- ニンジンをぶら下げるだけではダメ。アウトプットに褒美を与える
- 褒める時は、内容を褒める ×頭がいいね
- レベルの高い環境に身を置く。「学力の高い友だちの中にいると、自分の学力にもプラスの影響がある
- 人生を成功に導くうえで重要なことは自制心や、やり抜く力。それらは筋肉を鍛えるように鍛えることができる
- 〜しなさい、ではなく、〜しようね。大人でもいきなり頭ごなしに「~しなさい」と言われるとイヤな気分になる
- 否定しない。大切なのは「やってはいけないこと」を言うのではなく、「やってほしいこと」を伝えること。ポイントは「具体的にやってほしい行動内容」を伝えるこ
- 「やらなかったことを叱る」のではなく「できたことを褒める」しかるとその時は従ってもその後いやいややるようになる。褒めるとそのことを好きになり、自主的に動くようになるかもしれない、「えらいね」や「すごいね」だけではなく、「おかげでママ助かったわ」や「きれいにお片づけできて気持ちがいいわね」などの言葉で伝えることも大切
- 「ダメ!」とか「いけません!」と高圧的に子供の自我を否定してしまうような言動は控え,「~できるよね」あるいは「~しようね」と語りかけましょうと書かれています.自我が芽生える1歳半から3歳までの時期に,子供の自我を否定するような言動をしてはいけないという教え
まとめると、、、
大人を真似る天才、子供は敏感に感じるので、親が手本となる行動をとる 。
一緒にやる 、一人の人間として扱うことが大事なんだと思った。
次にこれを自分の場合、どうだったか考えてみた。
自分のなかでは小中の頃まで、勉強もスポーツも一生懸命に自分から取り組む子供だった。嫌でもないし、やらされている訳でもないし、ライバルには負けるのは絶対にイヤだと思って、頑張っていた。
だがいつしか争いごとや競争が嫌いになり、今の自分は、できなくてもいいじゃんと思ったり、それを避けたりしている。
よく言えば、負けることを知ったとか、覚えたとも言えるのかもしれないが、いい教育を調べた後には、そうじゃないのかも、と思った。
前後にどういう教育をされていたか考えると、小中の頃は自分のやりたいことが尊重され、インプットではなく、アウトプットに褒美が与えられていた。
それで何も恐れずに、上を目指して進むことができたのだと思う。
変わったのは中3くらいの時から。塾を強制的に変えさせられたり、志望校も自分の行きたいところ、なりたいものさえ当時は聞いてもらえなかった。その時は、だめ!という一言でなんの説明もなく、上記のよくないとされる高圧的な教育だった。そこで自分が尊重されないことを体で覚え、やがて諦めグセがついてしまったのかもしれない。
だから、あの時みたいに今も頑張れたら、と思う反面、なぜか腰が重いという状態を作り出したのかもしれない。
こう考えると、世の中で良い、良くない、とされている教育をされた自分が、どのような影響を受けたかよく分かる。
同時に今まで考えたことなかった、親の気持ちや背景、親の生い立ちをも考え、良くない教育をされていたとしても許すことができる。
知ってしまったら...
意外と、意外と何も考えていない人は多い。
それが30歳近くになっていると、もうすぐ新しいことも取り組みづらくなる年代になるので、要注意だ。
21、22くらいで何も考えていないのは、まだこれからいろんな仕事して、いろんな人と付き合って、社会経験を積むうちにいろんなカベにもぶち当たり、いろんなことに気づけると思うので、何も考えず遊んでいても仕方ないと思う。
ただ何も考えず、そのまま仕事を続けてきてしまった人は程危ない。
30歳を前に、自分の給料が低いことに見て見ぬ振りをし、その仕事でのキャリアすらどうするのか考えておらず、世の中や経済動向すら見ていない。
ものすごく怖いことだと思う。
でも仕方ないといえば、仕方ない。
学校では教わらないことだし。
ただ!社会に出たらそこは学校ではない。
知らなかったでは済まされない。
ちょっとニュースに目を通せば、AIだ、仮想通貨だ、ブロックチェーンだ、、、、。
さらには日本の抱える問題、少子高齢化、2020年問題、働き方改革、、、。
そこへ日本の現状、昇給率、離婚率、認知症率、、、。
先行きが不透明すぎる、今現在、どう生きていくかが問われている。
気づいてしまったら、不安で仕方ないだろう。
この先自分の仕事が、会社がなくなったら、結婚したいのに子供複数欲しいのにお金がない、自分や親が病気になった、介護が必要になった...。
なのにお金がない、という状況に陥る。
今まで仕事を普通にしてきただけでは、この先も普通に仕事をして行くだけでは、到底足りないお金が必要になる。
そうなっても構わない人なんていないと思う。
使っても使ってもお金が余る人は別。
ただ一般人の我々は、稼げるようにならないと、一般人が普通に夢見る普通の幸せ、マイホーム、マイカー、仲のいい家族、親孝行、、すら叶わないのである。
繰り返すが、そのままでは、普通の会社員では、叶わないのである。
その現実を知ってしまったら?
知れただけいい。気づけたことはいいこと。
でも知っただけでは、それでいかに知識を入れただけでは、根本的には何も解決しない。
知ってしまったら、もうお金をもっと稼ぐしかないはず。
そこに悠長なことは言っていられない。
それでもなお迷いがあるなんて、どれだけ鈍感で楽観的なのだろう。
知ってしまったら、自ずとやることは分かるはず。
ただビジネスは不安を解消するためだけにやるものではない。
危機感の方が人を動かすし、人はやる気になるが、それだけではないのだ。
ビジネスしてお金が稼げたら、好きなことに使えばいい。
使ってまた稼ぐ。このサイクルでどんどんお金を使って呼び込もう。
あなたは幸せ者です
今、台湾に来ています。
久しぶりのアジア旅行です。
親日国家とは聞いているものの、一人で海外、どんな感じだったかな、、、と少々不安ありつつまいりました。
実際、一人なのでよく周りを見ます。
そして思い出して行きました、旅行をいつも自分がどういう風に楽しんでいたか。
今回も一見ぼーっと電車から窓の外を眺めるているように見えて、景色は植物が違うから全然違うな〜とか、同じアジアで同じような部分を感じながら、ここが日本とは違うな、と街を眺めていました。
私の場合、車も見る。その国で走っている車はその国によって全然違う。
お国柄やお国事情がでている。
台湾は総じて日本と似ているところが多いと思った。風景(どちらかというと沖縄地方ぽい)とか車とか。あとあまりクレカ文化でないのはおどろいた。
違う、他文化だなと思ったのは街並み、屋台やマッサージ文化。至る所に個人でリヤカーで食べ物を売っている。道の石はガタガタだし、ひどいところは匂いがキツい。
そして、見ているとここで暮らす人がどんな生活を送っているのか考える。
......
屋台やマッサージ、マーケット、工事現場で働くおばちゃん、おじさん、もちろん若い人も。
主に見たのは台北市内だが、建物は密集していて古い。
物価も日本より安い。
ホームレスも多い。
市の中心部で働く人は、それほど給料が多いようには思えない。
そこから想像するに、家も広くて新しいところとはいかないだろう。
多くはその仕事をするほかないように見えた。
対して日本はどうだろう。
町は綺麗だし、過ごしやすい、いや、生活しやすい。
仕事だって変えようと思えばいい仕事にすぐ変えられる。
日本に生まれるだけでコンディションは整っているのだ。
こんなにも環境が整っている国はないと思う。
何をグズグズしているんだ。
日本人のあなたは幸せ者なのだから、やりたいこと、なりたいもの、になるために今すぐ動き出そう。
あくまで市の中心部を見ての話し。
郊外は建設ラッシュのようで新しいマンションがたくさん建てられていた。