スコトーマ 〜心理的盲点〜
今日は私も初めてのワード、”スコトーマ”、について調べた。
スコトーマなんて言葉、今まで聞いたこともないし、ピンともこない。
意味は、「盲点」で、目の構造上どうしても見えない暗点のことをいう医学用語。
それが最近では心理学用語として「心理的作用も関係する」という意味をプラスして「心理的盲点=スコトーマ」と使われるようになっているそうだ。
スコトーマのせいで躓き、自分の成長や目標達成を妨げることがあるという。
ということはスコトーマは外しておきたい。
心理的盲点、スコトーマが生まれる原因は2つで、
1:知識がない(から見えない)
2:自分にとって重要ではない(から見えない)
1に関しては、今まで通り&これからも、日々勉強して知識を増やして行けば、スコトーマはなくなっていくと思った。
2に関しては、重要な情報も、固定概念が邪魔して、重要度が下がって見えなくなることが多いようだ。
その固定概念は、できるだけ柔軟な思考で過ごすように心がけるということ、これまで正しいと思っていたことの全てを疑ってみると、取り除かれるという。
「できるだけ柔軟な思考で」って、今勉強しているしなやかマインドのことじゃないだろうか。逆に言うと、固定概念でいるときは硬直マインドかもしれない。
しなやかマインドセットは、スコトーマを外して固定概念を除く上でも重要なんだ。
あとは、正しいと思っていないことでも全て、本当にいいのか?と、親や、身近な人の話も全て疑う(客観的に聞く)癖をつけようと思う。
実際、最近少しできている気がする。(本当にそれが正しいのかな、それで幸せなのかな、と思う時があり、自分の心の中だけで相手には言っていない状態。)これを今後も継続する。
また、スコトーマを外すことは、前回書いたコンフォートゾーンとも関係があるようだ。
コンフォートゾーンの中は、自分が心地よいと感じているエリアなので、冷静に認識することができるため、スコトーマが生まれない。
ということはやはり、コンフォートゾーンを広げていく行動をするに越したことはない。
まとめると、スコトーマを外すために私は下記3つを意識して行動する。
- 今まで通りこれからも日々勉強する!(師匠にアドバイスもらう、本を読む、など)
- しなやかマインドで、いろんなことを疑う(客観的にみる)!
- コンフォートゾーンを広げて行く(=面倒臭いと戦う)!
3に関してはもっと具体的にどう広げるか考えて、明日以降記事にする。
今回参考にしたサイト
コンフォートゾーン
コンフォートゾーンについて改めて考えてみた。
今の仕事を始めてコンフォートゾーンをいうものを知ったが、改めて意味からおさらいすると、コンフォートゾーンとは、「自分が居心地がいいと感じる場所」のこと。
コンフォートゾーンから抜け出して行かないと、今の自分から成長していけないし、能力を向上させていけない。
目標や夢があるなかで、実際に達成できる人もいえれば、いつまでたってもできない人の違いもコンフォートゾーンにとどまらず、拡大しているかの差でもあると思う。
しかも、自分の意思に関係なく、ネガティブなことでも、脳や体が楽な領域はここだと錯覚してしまったら、それもコンフォートゾーンだというからやっかいだ。
以下は今回調べて、初めて知ったこと
- コンフォートゾーンから、少しだけ出ることで作業効率が最大化(=ラーニングゾーン)
- コンフォートゾーンから、離れすぎると作業効率が著しく悪化(=パニックゾーン)
今までの自分のことを思い返すと、急に自分を変えようとしてパクニックゾーンに行っていたと思う。
それがストレスともなり、今ではラーイングゾーンでも行くのをためらっている気がした。
失敗したって小さな成功を積み重ねればいいとサイトにもかいてあったが、今の自分はその努力をしてもできなかったらどうしよう、と思うばかりに、コンフォートゾーンにとどまり、限界突破することを避けている。
コンフォートゾーン拡大には、期限と具体的な目標をもつことが、アファメーションともなって実際に行動もしやすくなるので、目標をたてるのは重要だが、その目標達成に対して、急な改革ではなく、少しずつコンフォートゾーンからでて拡大していくのが最善なのだろう。
今の自分には、”少しずつ”がポイントになると思う。
そう考えていると、少しずつでもコンフォートゾーンから出るって、めんどくさいとの戦いのことだと思った。
そりゃ、今いるところが心地よければ、そこのでぬくぬくするのもアリ。
でも成長しようと思うなら、エネルギー使うし大変かもしれないけど、めんどくさいかもしれないけど、"少しずつ"でいいからコンフォートゾーンを広げていないと、なにも変わらないし、やりたいことも達成できない。
失敗してもいいんだ、少しずつコンフォートゾーンを拡大し、小さな成功を積み重ねていこうと思う。
今回参考にしたサイト
コンフォートゾーンとは何か? そこから抜けだし成長するためのポイント | ライフハッカー[日本版]
コンフォートゾーンの本当の意味とは|コンフォートゾーンを抜け出す方法
新・恋愛観、結婚観
ビジネスをしていると様々なことが学べて、日々勉強で、終わりはないと思っている。
そんな中で、私の中で恋愛観、結婚観が変わってきたので、今日はそのことについて書く。
ビジネスと、恋愛はとてもよく似ている。
どちらも好きな相手に自分のことを好きになってもらおうとすることにおいて、同じである。
コミュニケーションが重要なのである。
今までの私は、愛が正義、愛があれば全てうまくいく、と思い、私を受け入れてくれるいい人いないかな。と思っていた。
そういう愛しあえる人と結婚して、一生ラブラブに暮らすものと思っていた。根拠もなく。
そして早く結婚したいと思っていた。それが何かの解決にでもなるような気がしていたんだと思う。
でも今は、恋愛観、結婚観が変わり、タイミングさえ合えば、結婚はいつでもいいと思っている。
そもそも、愛さえあればうまくいく?
それは否。
お金もないと人間関係はうまくいかない。
そして、恋愛も、結婚も2人のコミュニケーション。
大人とはいえ、不完全な人間が2人で生きていこうとしているのに、相手に完璧を求めていないだろうか。
"いい人いないかな。"
きっとみんな、自分のことを丸ごと受け入れてくれる人がいないかな、という意なのだと思う。
でもよく考えて、そんな都合のいい人いるか?
私の全てを受け入れてくれる人、なんているわけないでしょ。
違う親の元で、違う環境で育った他人が、完璧に理解してくれるなんて幻想。
だから話し合って、お互いの良いところも、悪いところも見せ合い、理解しようとして、一緒に成長していくもの。
でも幻想をいだいているから、なんでわかってくれないの?、私は仕事もして、これだけ家事もやっているのに、あなたは何もしない、とか、ダンナはこれくらいして当たり前。なんてことになっちゃうのよね。
もし自分のことを100%理解してくれている!という相手がいるのであれば、それは相手がコミュニケーションスキルを会得しており、コミュニケーションによってあなたのことを理解してくれている状態。
一方がコミュニケーション能力が高く、相手のことを理解してうまくいく関係もあるだろうが、基本的には愛してもらいたいななら、愛さないといけないのと同じで、自分も相手のことを知ろうとして、理解しようとする努力をしないといけないと思う。
だからちゃんとお金があって、コミュニケーションをお互いにとってしっかり理解し合い、結婚で終わりじゃなくてずっとお互い成長だと思える人がいれば、タイミングさえ合えば結婚していいだけの話じゃないかと思っている。
感覚的なお話し
今日は気づきがあった。
感覚的にだが、”相手のため”を思って行動すること、発言することがどういうことか、少しわかった気がする。
私は日本国民全員がビジネスしたらいいと思っている。
自分でビジネスできるということは、最強の資格であるし、究極の安定だと考えているからである。
自分でお金を稼げたら、本当にいろんなことができる。
会社員でたくさん稼いでいたとしても、どうしても時間にしばりが出てくるが、自分でビジネスすると、時間とお金の両方が手に入るから、やれることは無限大。
しかし、全員がやるべきと思っていても、それが本人のためになっているか、なっていないかは別。
誰でもかれでもに薦めるのは違う。
今日はそれにプラス、ただ単にお金が欲しい、時間が必要というだけで、やったらいいんじゃない?というのも違うんだと感じた。
ビジネスするとか、しないとか抜きに、”その人がどうしたいのか、何をしたいのか”を考えないといけない。
よく話を聞いて、それを叶えるためにはどうしたらいいかを、世の中全体の選択肢から考えるのが筋。
今までは少し安易にビジネスしたらいいよ、に結びつけていた。
そうじゃないんだね。
その人のやりたいこと、その人のためになることを、ただひたすらに考えればいいんだ。
例えその人のやりたいことが、時間とお金を必要としない場合でも、まずはそれでいい。それを叶えるためには...?
きっと今できる範囲でしかやりたいことが出てこない人もたくさんいる。
でも時間がもっとあったら?お金もあったら?
こんなこともできたら、もっと楽しくない?幸せじゃない?
って選択肢を広げてあげるのも大事。
そしてそれを叶えるためには?どうするのがこの人のためになる?を考える。
結果それを叶えるのが、ビジネスを始める、教わる、ということでなくてもいいんだと思った。
こういう方法と、こうんなやりかたと、こうするっていう手もあるね。とあれこれ考えうるなかから、相手にとって一番いいのはこうなんじゃない?って提案してあげればいいんだ。
その中から本人が、ビジネスするという選択肢を選んでくれたら、私は一番嬉しい、ってだけの話。
しなやかマインド
今日はしなやかマインドを意識した日だった。
何と言っても、今日の相手は、仕事が遅い方で私もついつい、きつい言い方をしてしまう人。
でも今、マインドセット(硬直マインドとしなやかマインド)について学んでいる私は、既にこの人と対峙している時は、自分が硬直マインドだということに気づいた。
本を読んで、自分の地位や権威を守ることに必死で、相手をけなすことで優越感を得ていた、硬直マインドだとハッとした。
これでは本来の目的は達成されないし、自分も成長しないで、凝り固まった人間になってしまう。
今日は本来の目的は何か、それを成し遂げるためには、という点と、この人は何をしたいのか、何がこの人のためになるのか、と考えて仕事をした。
自分のことはどうでもいい、ってくらいに。
一度意見を聞いて、飲み込んでから、否定するのではなく、この方がいいと思う、という言い方にした。
そして、相手自身がどう思うのか、と意見を聞くようにした。
もちろん、今日1日で変化が現れるわけではないと思っている。
でもこれを続けることで、きっと相手にも変化が出てくるのではないだろうか。
それでもダメなら、本当にバカで考えない人なんだと思う。
そして今日、終わってみて私自身の気持ちがどうだったかというと、
今までも、内容は間違ったものじゃないと思うが、言い方が硬直マインドの私は、要はマウンティングしてるので、終わった後むしゃくしゃしているのである。
なんで言っても分からないの?私の言う通りやっていれば間違いないのに。
といった感じ。
でも今日は、相手の考えの浅はかにはあきれたが、終わった後は気持ちは整理されていたというか、心地よかった。気分は悪いものではなかった。
毎回こうやっていれば、いちいちイラつくこともないし。変なこと言われても、目的がしっかりしているから、ブレることもない。
なんと、マインドセットをしなやかにすることで、感情のコントロールも学べてしまうようだ。
もうその人のことなんて、自分の成長台として、自分がこうやってどんどん学んで成長していけばいいんだ!
万人受けする人
この数日、2つの勉強をしている。
一つは万人受けする人の分析。
もう一つは、マインドセットについての勉強。こちらは本を読んでいる。
この二つがリンクして、なるほど、と思ったので今日はそのことについて書く。
マインドセットに関して、まだ本は読んでいる途中だが、
人間には硬直マインド=fixed mindsedの人と、しなやかマインド=growth mindsetの人がいるという。
簡単に言うと、
硬直マインドの人は、自分の能力は伸びない、人間の才能は生まれた時から決まっている。人より劣らないように取り繕う。失敗は自分のせいでなく人や、自分以外のせいにしたりする人。
他方、しなやかマインドの人はどういうひとかというど、失敗を次への学びや成長ととらえ、自分の能力は努力によって伸ばすことができると思っている。新しいことや、今自分ができないことに挑戦することを好む人のことだ。
もちろん価値感や好みはあるが、どちらがいい人生をおくれるか、は一目瞭然だ。
それを勉強として本を深く読み進めて行っている最中である。
同時に万人受けする人の分析もしていた。
私はマツコでラックスを調べることにした。
彼女(彼?)の特徴、私の分析として、
- 女装家(体は男、心と見た目が女)であることで、男女の間のポジションがとりやすい。
- かなりのおデブであるから、世間からの見た目を気にしていないし、かつ、どう思われているかよく心得ている。物怖じしない姿勢。見た目ではなく、言葉で世間を惹きつけている。
- その立場から、ズバズバとはっきりモノを言う、的を得ていて、嫌味がないことで、広い層から支持が得られやすい。
- 例えがわかりやすい
そして!
- しなやかマインドをもっている
ということに気づきた。
例だが、テレビで、悪気はなくマツコのことをディスる一般人のVTR後、マツコがどう反応し、何と言ったかというと。
嫌な顔一つすることなく、笑っていて、
「あぁいう風に言ってくれるから面白いのよね。私のこと叩いてくれるのもあんた(司会相手)だけ。いじられなくなったら終わり。むしろ感謝している。」
なんて前向きで、しなやかなマインドなんだろう。
失礼だと文句をいったり、どうせ自分はとか、思ってもおかしくないと思うが、マツコは違った。
そういう言動が、謙虚というより、この人はこういう風に捉えるんだ、考えるんだ、という人間としてのありかたの部分の関心で人を惹きつけているようにも感じた。
超コアファンって...
私はスポーツ観戦が好きである。
小さい頃から体育は好きだったし、水泳をずっとやってきて、大学でもスポーツに関して学んだ。
そんなスポーツに関わりながら行きてきた私が、違和感を抱く人たちがいる。
それはある一つのチームに、かなり熱狂的な人。
よくコアファンなんて呼ばれる部類ではあるが、なかでも熱狂的な人たち。
アホみたいに好きな人。
シーズンシートは当たり前。まるでその他の私生活は、そっちのけ。
まるでそのチームが、宗教の一つの教団であるかのように好いている人。
そういう人たちについて、ちょっと違くない?おかしくない?と思ったことを書く。
好きなチームのために、毎日でも応援に行きたい、ビジター/アウェーでも応援に行きたい、という気持ちは良くわかる。それが一番の趣味であり、生きがいだということにも。
しかし違和感を覚えるのは、そのチームを応援するために自分の人生を蝕まれていないか?という点。
例えば野球。
シーズンシートを買って、毎日行くとしたらホームで約70試合。
土日はともかく、平日にだって平気で試合はある。
それを全て観れるような仕事ってそんなにあるだろうか。
年間数十万のシーズンシート代を払い、平日にもある試合へいく。会社員の仕事をしながら、これって難しいことだと思う。
結婚していたり、子供がいて子育てしながら、親の面倒も見ながら、の状態であったらなおさら家計的に厳しい。
でもそうしている人が多いのは、仕事をパートやバイトにしてお金は最低限稼ぎ、試合の空き時間に仕事をするようなパターンだろう。
これって本当に幸せなことなのだろうか。
断っておくが、それが自分の何よりの幸せで、生きがいそのものという思いを否定はしない。その人が、それが幸せだといったらなんの異論もない。
ただ人生で大事な他のものを考えてからそうしているのだろうか。
チームはファンの人生まで責任は持たない。
チームがそこまでつぎ込めといったわけでもない。
好きだからという理由だけで、私生活を全てつぎ込むのはギャンブルと同じではないだろうか。
家族、仕事、収入、他の趣味,,,人生を構成するものはものすごくあるのに、目先の趣味、好きなチームの応援に気を取られすぎてはいないか?
チームを応援するために生活を合わせるようなライフスタイルは、ふと我に返った時、いざお金が必要になったり、ライフステージが変わる時に、ハッとしたり後悔しやすいのは、分かりやすい。
本当の、本当の、コアファンであれば、自分の生活や収入もしっかりと計画した上で、サポート活動をするべきだと思う。
野球であったら、普通の会社員も時間的に難しい。
そうなるとしっかり自分でビジネスして稼いで、サポート活動をし、なおかつそのほかのことにも時間とお金を割けるようでないと、本当の幸せとは言えないと考える。