相手のためを思う
相手のために何をしてあげたらいいのか、相手のためを思って仕事をするようにしている。
書きながら感じたが、「するようにしている。」って書いている時点で、自分の中でできている、とは思っていないってことだ。
今日は再度、相手のためを思って行動する、ことを考えた。
どうやら、相手のためを思って行動することは、自分と異なる価値観があることを認めることから始まるようだ。
認める。
これはしている自覚がある。
でもその次、まだできてない。
だって、認めちゃったら、それで終わってしまう。
でもそれが相手のためにならないことだから、それを思って伝えるのだが、それができていない。
今の私は、「そうなんだ、あなたはそう思うんだね。それでもいいんじゃない?(私はそうは思わないけど。)」って思って終わる。
だから、私はまだ相手の価値観を認めていないんだと思う。
認めつつ、相手のためを思って伝えるって、意外と難しいな。笑
相手のモノサシじゃなくて、自分のモノサシで測ってないか?
でもその違いは?
どうやって自分のモノサシを置いておいて、相手のモノサシで考えて、認めて、相手のためになることを言うのか。
相手のモノサシで考えると、私はそれに染まって、そうだね。って認めてしまう。相手のためになっていないことも。
あからさまにこの人このままじゃヤバイって人は、きちんと言える。
でも境がわからない。モヤモヤしているはここ。
相手が心から、今のままでいい、それで幸せだと言うのであれば、仕方ない。ここから認められる。
でも、それではあなたのためにならない、だってこうだから。を言うのか、言わないのかが判断できていない。
しかも、相手のために言う時、論理的に話していて、熱い気持ちがこもっていない。
なぜあなたがそうした方がいいのか、そうしないとどうなってしまうのか、熱いメッセージを送る。
最後はハートなのに、理屈で説明して、「ね、そうでしょ?だからこうした方がいいよ。」(キリッ)って感じ。
むしろちょっとイラっとしている。
あとはこれ言ってどう思われるだろうかって、自分のことが先に出て来ている時もある。
理論的には考えられる。でも自分が熱くなれていない段階だと思う。
だめだめ!
笑顔で言えば、何言ってもいいんだから、これ言ったら嫌われるかなとか、無駄なこと考えたり、イラっとかしないで、普通にスラッと言えばいいんだ。
イラっ、じゃなくて、スラっ、で♪
あと今日は考えて分からなかったことは、師匠に相談しに行く。